寳金剛寺

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本 堂
Main Hall

本堂内陣 本堂内陣
 
 

伝承千二百年
1200 Years of Tradition

当寺は中世から近世にかけての一時期、国府津護摩堂として小田原北条氏の祈祷所であったことが多くの古文書に記されております。戦国期、護摩堂では足利晴氏や北条氏康らの疾病の際に百座の祈念が修された記録が残っております。
本堂中央奥には、その時代、護摩堂の本尊であった薬師如来像が安置され、また大壇中央には塔身に金剛界の大日如来像が安置された舎利塔、その手前には空海が唐から持ち帰ったとされる密教法具の五鈷杵、五胡鈴(金剛鈴)、金剛盤が配置され、古から代々伝承されてまいりました修法の荘厳な雰囲気を漂わせております。

 
 
 
 

薬師三尊
Yakushi Sanzon Triad

本堂正面奥に安置されている薬師三尊です。薬師如来像は面部や背面などに後世、幾度か手が入り一見近世風の印象となっておりますが、調査研究の結果平安末期の作と判明。小田原市域で最も古い作例の一つとなっております。小田原市重要文化財に指定されております。
脇侍の日光菩薩、月光菩薩は後世の作で、元禄九年(1696年)の造立です。


 
 
 
弘法大師
弘法大師

弘法大師
Kobo Daishi (Kukai)

真言宗の開祖、弘法大師像(空海)。空海は803年留学僧として唐に渡り密教を学び日本に持ち帰りました。京都東寺を修業拠点として真言密教を全国に広めました。
弘法大師の名は空海の死から83年後に後醍醐天皇から贈られた諡号(しごう)。
護摩壇正面の厨子に納められ、普段は厨子扉を閉ざしております。木造、江戸期の作。

 
 
 
 
 
 
護摩
護摩 護摩
 

護摩壇
Goma Stage

本堂内にある護摩壇。戦国時代には小田原北条氏の祈祷所でもあった由緒ある護摩壇です。
手前が魔を払い煩悩を打ち破るとされる五鈷杵(ごこしょ)と金剛鈴、それらを置く金剛盤。護摩供に欠かせない密教法具です。 奥にある黒い釜は、願意が書かれた護摩木を焚く護摩釜です。

護摩壇
Goma Stage

本堂内にある護摩壇。戦国時代には小田原北条氏の祈祷所でもあった由緒ある護摩壇です。
上写真:手前が魔を払い煩悩を打ち破るとされる五鈷杵(ごこしょ)と金剛鈴、それらを置く金剛盤。護摩供に欠かせない密教法具です。
奥にある黒い釜は、願意が書かれた護摩木を焚く護摩釜です。

 
 
 
 
中庭 中庭
中庭
 

中庭の四季
Four Seasons in Courtyard

本堂中庭には四季を区切りとした静かなときの流れがあります。春の梅の香、初夏の青モミジ、盛夏の蝉しぐれ、鮮やかな秋の紅葉、凛とした冬の椿、弘法大師は自然から受け取るものすべてが仏様の言葉であると教えておられます。

中庭の四季
Four Seasons in Courtyard

本堂中庭には四季を区切りとした静かなときの流れがあります。春の梅の香、初夏の青モミジ、盛夏の蝉しぐれ、鮮やかな秋の紅葉、凛とした冬の椿、弘法大師は自然から受け取るものすべてが仏様の言葉であると教えておられます。

 
 
 
 
大威徳明王
大威徳明王
地蔵菩薩 地蔵菩薩
 

戦勝祈願
Victory Prayer

左写真:六面六臂六足の姿で水牛にまたがる大威徳明王(だいいとくみょうおう)。江戸時代の作。
戦勝祈願にご利益があると言われ、古くは戦国武将に広く信仰されておりました。現代ではスポーツや選挙の必勝祈願、合格祈願、就職祈願、事業成功祈願などに幅広い年代層から人気を集めている仏様です。

右写真:本堂の位牌壇に安置されております木造地蔵菩薩立像です。江戸期の作。
美しく整った面相を持つ仏様です。右手の錫杖(しゃくじょう)は人々を種々の苦しみから救済してくださることを、また左手の宝珠はあらゆる願いを叶えてくださることを意味しております。

戦勝祈願
Victory Prayer

上写真:六面六臂六足の姿で水牛にまたがる大威徳明王(だいいとくみょうおう)。江戸時代の作。
戦勝祈願にご利益があると言われ、古くは戦国武将に広く信仰されておりました。現代ではスポーツや選挙の必勝祈願、合格祈願、就職祈願、事業成功祈願などに幅広い年代層から人気を集めている仏様です。

下写真:本堂の位牌壇に安置されております木造地蔵菩薩立像です。江戸期の作。
美しく整った面相を持つ仏様です。右手の錫杖(しゃくじょう)は人々を種々の苦しみから救済してくださることを、また左手の宝珠はあらゆる願いを叶えてくださることを意味しております。

 
 
 
 
徳川家位牌

東照大権現
Tokugawa Family Mortuary Tablet

当山は天正十九年(1591年)、徳川家康より護摩堂領として二十二石の寄進を受け、以後十四代家茂まで代々将軍の朱印状により寺領安堵されておりました。
護摩堂では幕府に縁のある法要が開かれることもあり、写真は八代将軍吉宗の時に当山に奉納されたご位牌です。東照大権現(家康公)を中央に、七代将軍までの戒名(院号)が記されており、先祖を弔う護摩法要が執り行われたと思われます。

 
 
 
 
 
南無大師遍照金剛

南無大師遍照金剛
Namu-Daishi-Henjoh-Kongoh

南無大師遍照金剛 法要の折にご唱和頂いているこの言葉は、御宝号とも呼ばれます。
南無は「礼する」意のサンスクリット語のNamasの音写で、「身も心も全て捧げます。」という意になります。
遍照金剛とは、空海が唐の都、長安は青龍寺で頂いた灌頂(かんじょう)名です。
従いまして、「お大師様全てよろしくお願いいたします。」とでも申せば宜しいのではと思います。

 
 
 
 
 
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